【体が資本】パソコンの仕事始めてから、めまい・ふらつきがパネェ。その1

Webの仕事と出会うまで

パソコンを使うと肩が凝ったり、頸が凝ったり、猫背になったり、頭が重くなったり、目が悪くなったり、お腹が出てきたり、言い出せばキリがありませんが、打ち込めば打ち込むほど、体には悪影響の方が多いです。
私も、その職業病とも言える洗礼を受けた身であり、今回は少しでも記事を見た人が、しなくても良い経験をしないで済むように、今までの事を少し書いてみます。

※書き出すと長くなってしまったので、記事を分けます。

私の経歴は、自己紹介欄にもある様に、元々は地元の工業高校を卒業してから製造業に就職していました。
運動は、小学生の時は6年間水泳。中学校・高校でも運動部に所属していましたので、所謂完全なる体育会系です。
体は小柄ですが、特に運動音痴という訳でもなく、体は、エクソシストの蜘蛛女の真似と称して、ブリッジをしたままダッシュが出来るほど柔軟でした。

卒業して最初の職場では、月の残業時間が140時間を超えることはザラでした。土曜、祝日はなし、お盆休み、正月休みは、その時に取れないので、1月くらいズラされて取る。というような事の繰り返し。
仕事内容は、製造業ですから体を使います。朝から晩まで、日付が変わっても体を動かします。(笑)
勿論、求人票にはそんな事書いていませんでしたが。(笑)
成人式は、帰省することなく仕事をしていました。
仕事終わりに、同じ部署の先輩や他部署の部長が気を使って飲みに連れて行ってくれた事、全く知らない会社の社長さんに「おめでとう」という祝いの言葉を貰い、お祝い金を貰ったことは今でも覚えています。
嬉しすぎてその後の出来事は記憶にありません(笑)。

当然、長く続くはずもなく、2年持たずに、退職→帰省することになります。

故郷に帰り、体を休め、こう再起を誓ったのでした。
「次は絶対、長く続く仕事に就くぞ!Web!Webだ!Webしかない!」

元々、WEBは趣味でサイトを作った事があるくらいでした。まだ、<MARQUEE>を知っているだけで、「こいつクレイジー」的な扱いを受ける事ができ、いたずらに掲示板やチャットを個人サイトと称して起ち上げるのが流行った(許された)時期ですね(笑)。
今思えば、ホスティングサービスも相当な迷惑だったはずです。
実務経験は全くありませんでしたが、若さとデザインへのやる気をアピールして、なんとか地元の小さなデザイン事務所に拾ってもらう事が出来ました。

丁稚として、デザインを学ぶ傍ら「WEBの仕事をやってみないか」という社長の言葉に、待ってましたと言わんばかりのドヤ顔で「はい、やってみます。」と。
なんだかんだで5年務めた会社でしたが、結局途方もない仕事量を捌けなくなって、精神的にダウンした際に母に言われた一言で退職を決意しました。

「あんた、もう限界やろ」

この頃はまだ、スリム体系でタイトなパンツに細めのシャツが良く似合うWEBデザイナーでした。

その日は突然やってきた

今の会社に勤めだして3年目の夏、その日は突然やって気ました。
今までの会社とは違い、無謀な残業はなく、常に助けてくれる人間がいる。
そんな甘えからでしょうか。今まで、帰宅後は死んだように眠るくらいしか用事がなかったのですが、空いた時間に食べ、飲み、そして、食べ、飲み。土日には、今までの反動もあってか、1歩も外に出ずにひたすら食う→寝るの繰り返しでした。
久しぶりに、友人から飲みのお誘いが来た時の事です。
お気に入りのタイトでキラキラのジーンズを、タンスから出して着ようとしても、お腹が苦しくて、チャックが閉まらないのです。
「何故?」
気が付けば体重はあっという間に入社時の53kgから20kgも増え、たまにしか着ない余所行きの服など、とうに入らなくなっている事に、その時初めて気が付きました。
「あー、太ったのか。太ってチャックが閉まらないとか漫画かよ。」と、この時は、やがて自分の身に降りかかる事など気にもせず、いつものように暴飲暴食を楽しんでいたのです。

友人との久しぶりの飲み会に、お気に入りのジーンズが着れなくなったと落ち込んでいた翌週の5月10日。
体の異変に気付いたのは、その日です。
「最近、太ったな」、「ちょっとお腹が出てきたな」、「肩が凝るな」、「少し苦しいな」
そんな事を、思いながら夕飯を食べようと思った時、いつもなら炊き立てのご飯を美味しく頂くところが、その日は茶碗一杯のご飯さえ食べきる事が出来ませんでした。

「少し…いや、明らかに苦しい。」

それまで、少々の息苦しさは、それまでの生活を振り返った時、体重もかなり増えた事からさほど気にしていませんでした。
ふと自分のお腹を見てみると、太っているのではなく、物凄く張っている事に気が付きました。
オカシイなと思いながらも、「まあ、太ったからな」で自己完結してしまい、寝る前にトイレへ行くと…

「!…で、出ない。」

尿意があるのに関わらず、出ないのです。
いよいよヤバいと思ったのですが、寝たら治るだろうと言い聞かせ、不安と苦しさを感じながらも、その日は就寝。

翌朝、やはり体がいつも以上に辛く、無理そうだったら早退しようと思いながら、会社へ向かいます。
お腹は張ったままで、息苦しい。昨日からトイレにいっても出ない。
「あー、苦しい、苦しい…くるしい…おかしい…息が…」
一向に回復しなかった息苦しさが、いよいよ過換気症候群となって表れた瞬間でした。

「まずい」

ただならぬ事態だという事をやっと認識し、猛スピードで車を会社から最寄りの病院へと向かわせますが、道路は朝の通勤ラッシュです。
半分息が止まりながら、不動産屋の駐車場に車を止め、まだ閉まっているドアを叩きます。

「!…誰もいない」

もう、自分ではまともに喋る事もできなくなっていたので、辺りを見渡し目に入ってきた庭の剪定中のオジサンに近づき、「ハァ…ハァ…すみません…ハァ…」と声をかけると、よほど顔色が悪かったのでしょう。
立っているのもやっとの私が自分のiphoneを差し出した瞬間にオジサンは状況を理解し、「救急車を呼びましょうか」と言ってくれました。
幸い、そこはオジサンの事務所で、私が頷くと、そのままオジサンは中まで私を抱え、折り畳み式の簡易ベッドを準備してくれました。

「救急車呼びますから、横になって下さい。」

言われるがまま横になり、時計を見ると7時55分。
オジサンは電話で症状を説明していました。
「私も会社に連絡しなくては」と、オジサンが簡易ベッドの横に置いてくれたiphoneを取ろうとした時、私の体は全身が痺れて硬直し、自分で動く事が出来なくなっていました。

「今、救急車呼びましたからね。すぐ着ますからね。」

苦しさを増す私の呼吸を聞いて、オジサンは私を安心させようと、そう言い残し、救急隊を誘導すべく外へ出ていきました。
みるみる不安げな表情になるオジサンの顔が、今でも忘れられません。
今にも息が切れそうになるのを感じ、「あとどれぐらいもつだろうか」と再び時計を見ると7時57分。

「!!…2分!?」

果てしなく長く感じたその2分間。
苦しさと痺れで全身が硬直した状態から、追い打ちをかけるように「ああ、今日、死ぬかもしれないんだな」という、「死」の恐怖が襲ってきました。

程なくして救急隊が到着し、

「大丈夫ですよー。これは何本ですかー?(指を三本立てて)体痺れてますねー?はい、(息を)吐くのを意識してくださいねー。はい、そうです。ゆっくり息をしましょうか。忙しかったんでしょう。大丈夫ですからねー。楽にしてくださいねー。ベルト緩めますねー。」

なるほど流石は救急隊だ、症状も対処も慣れている。この瞬間ばかりは、私も一瞬気がホッとしました。
息を吸っても吸っても苦しいから吐けないんだ。と理解するまでのほんの一瞬でしたが(笑)。

「大丈夫ですよー。」

救急隊にそう言われながらガラガラと担ぎ込まれ、看護師は私の上半身を脱がし脈拍を計っていました。

運ばれた少し広い部屋にはポツンとベッドがあり、傍に電気ショックが置いてありました。

 

次回へ続く。(笑)

※初めて知りましたが、電気ショック【電気的除細動(DC)こちらが正式名】は不整脈を止めるために使用するもので、止まってしまった心臓には使わないそうですね。